千年ロマン百貨店について

この豊後高田市には、「古代」から「中世」、「昭和」と繋がる千年の歴史とロマンが残っています。

「古代」 六郷満山仏教文化が花開いた み仏の里・国東半島

全国八幡宮の総本山「宇佐神宮」の八幡信仰、最澄が伝えた天台宗系仏教、 古来国東半島の山岳信仰とその地質から生まれた石造文化、それらが融合して生まれた神仏習合の独特な山岳仏教文化である「六郷満山」。

全盛期には2千人に及んだ僧徒がこの国東半島におり、八千とも一万ともいわれる石造物があったといわれています。
国東半島には、今なお1000年以上の歴史を誇るお祭り「修正鬼会」が引き継がれ、修験道の発祥の地ともいわれる峯入り行の道が残り、熊野磨崖仏や国宝「富貴寺大堂」など重要な文化財が多く存在します。

古代 富貴寺の山門

「中世」 宇佐神宮の根本神領として栄えた「田染荘」

宇佐神宮の根本神領として栄えた豊後高田市の田染地区「田染荘(たしぶのしょう)」。その中心的存在であった田染小崎の棚田は、墾田永年私財法が制定された743年より開拓が始まったとされ、今も当時と変らぬ田園風景の中でお米作りが行われています。

国東半島は2013年に「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」として「世界農業遺産」に認定されました。田染荘はこの農林水産循環の象徴的な場所として多くの方が訪れる場所になっています。

中世 田染小崎地区の景色

「昭和」 昭和30年代の懐かしさが残る町・昭和の町 商店街

古くは江戸時代から明治、大正、昭和の30年代にかけて、豊後高田の中心商店街は「国東半島一の賑やかな"お町"」として8つの商店街に300の店舗がひしめいていました。
しかし、宇佐参宮鉄道の廃線により豊後高田駅がなくなり、街は急速に衰えていきました。
豊後高田「昭和の町」は、この商店街が最後に元気だった時代、昭和30年代の賑わいをもう一度よみがえらせようという願いを込めて、平成13年に着手した町づくりです。
「昭和の町」には変わらなくてよかった形や心が今なお残されています。平成の今、懐かしさにしてしまった物も人も、ここではまだ大切に守り伝えられています。

昭和 昭和の町 新町二丁目商店街